こんにちは。**こだむ。**です。
しばらく更新が空いてしまいました。
というのも理由はシンプルで、生活が怒涛でした。言い訳はしません。
今回は、
「なぜ手話通訳士の道を一度止めて、ワーキングホリデーに出たのか」
その背景と、あわせて今ニュージーランドで感じていることを整理して書こうと思います。

日本で手話通訳士を目指していた日々
昨年、私は日本で社会人として働きながら、手話通訳士を目指して週1回の養成講座に通っていました。
そして今年もそのまま手話通訳士養成講座Ⅱに進み、学びを継続。
正直、楽ではなかったですが、目的ははっきりしていました。
「言語を通して、ろう者と社会をつなぐ存在になること」
この軸は、今も変わっていません。
それでも、ワーホリを選んだ理由
一方そんな中で強くなっていったのが、
**「海外で生活してみたい」「別の文化の中で言語を学びたい」**という思い。
その結果、今年6月で講座Ⅱを一旦ストップし、
現在はニュージーランドでワーキングホリデー生活を送っています。
逃げではありません。
むしろ、目標から逆算した選択です。

CODAとして生きてきたからこそ、文化の違いに惹かれる
私はCODAとして、
聴文化とろう文化が交差する環境で育ってきました。
だからこそずっと考えてきました。
例えば、
- 人はどんな環境で育つと、どんな価値観を持つのか
- 文化が違えば、必要とされる「表現」はどう変わるのか
- 言葉とは、誰のために、何のために存在しているのか
ニュージーランドでの生活は、
その問いを日常的に突きつけてきます。

私の最終目標は「多言語・多文化を横断する通訳士」
そもそも、私が手話通訳士を目指す理由には、明確な最終目標があります。
日本語/日本手話/英語/国際手話
この4つを使い、文化を越えて人と人をつなぐこと。
今が何段階目かは正直わかりません。
ただ、少なくとも今は、英語に全振りすべきフェーズだと判断しました。
だからこそ、このワーキングホリデーがあります。
海外に来て、強く考えるようになったこと
最近、特によく考えることがあります。
日本人、英語話者、他言語話者は、
同じ街・同じ家・同じ職場で混ざって暮らしている。
それなのに、
ろう者は「同じ手話を話す人たちだけで固まって暮らす」ことがほとんどない。
なぜなのか。
おそらくそれは、
意図的に作れる環境ではないから。
社会構造や教育、情報保障といった要素が複雑に絡んでいます。
簡単な問題ではありません。
それでも、考え続ける価値はあると感じています・
今の生活が、未来の自分につながると信じて
正解かどうかは、今はわかりません。
それでも、今ここで見て、聞いて、考えていることは、必ず未来の自分につながる。
そう信じて、生きています。
今後は
- ニュージーランドでの生活
- ワーホリ中のリアルな悩み
- 言語・文化・CODAの視点
このあたりも、少しずつ書いていく予定です。
今日もここまで読んでくれて、ありがとうございました。
また、お会いしましょう。
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